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経験談と自慢話の線引き、自慢話はするべきか否か

人は皆、自分語りが大好きだ

「俺さあ昔こんな事をやってさあマジこんな感じだったんだよホント参っちゃうよ〜」
こんな感じで自分の事を話す先輩や上司は結構いる。
話す本人は面白い・興味深い話のつもりなのだろうが、これが驚異的につまらない話だったりオチも何もなかったりするから真剣に聞いていると損した気分になる。
そもそもお前の昔の事なんか興味ないねん昨日人事と話しとった内容教えてくれよ、と思わないでもない。次はどこに飛ばされるんだろうか。

それはともかくとして。

対人関係では過去の事よりも現在や将来の事の方が重視されるのに、なぜ我々は経験談や自慢話をするのか、その線引きはどこか、対策・対処やメリットはあるのか。
思うところがあったので、思考整理と備忘録として、少し書いてみたいと思う。
今回は検索していないが、私感という事でご勘弁願いたい。

つーかOBの爺さん話長すぎ、自慢多すぎ。
なんとかならんのかあれは。

目次

経験談と自慢話

なぜ経験談・自慢話をしてしまうのか

まず、経験談や自慢話は本人にとって話しやすいのだろうと思う。
自分の経験した事だし、何より自分以上にその事を深く知る人間はいないのでツッコミを受ける可能性もない。
万人が安心して話せる話題が経験談となるわけだ。

面接は苦手だけど友達と話すのは緊張しないという心理が、経験談や自慢話がしやすい心理に似ているのではないかと思われる。
面接でも友達との会話でも自分の事を話す事実には変わりないが、面接は自分の事に対して質問や批判を受ける可能性がある。
対して友達との会話は、そのようなダメージを受ける恐れがないため、安心して話せるのだろう。

経験談と自慢話の線引き

誰でも話し上手になれる経験談は、しかし自慢話になる可能性が大なり小なり存在する。
最後に『すごいだろ?』と言外にでも伝えてしまえば、それはたちまち自慢話になってしまうのだ。

では、ドヤ顔をしなければ経験談は自慢話にならないかと言うと、これは難しいところだ。
特に、目上の人が話す内容に目下の者は肯定的な感想を述べないといけないとの強迫観念めいた認識があるため、自慢話に感じられてしまうことが多々ある。
そして、大抵の場合、相手はあまり愉快には感じないものなのだ。

なぜ自慢話は苦痛に感じるのか

経験談が『情報を与える』だけの無害な物であるのに対して、自慢話は『賞賛を求める』物である。
『求める』と『与える』は、一見すると与える側が有利にも見えるが、主導的な求めに対して受動的に与えると考えれば、求める側が有利であると考えられる。

人は誰しも、相手に対して有利でいたい心理が働くものだ。
だからこそ、自分が不利な立場になりがちな自慢話を聞くのは苦痛に感じるのだろう。

あと、単純に自慢は長引くというのもあるかもしれない。

自慢話の対策・対処

過去を話題にしない

不用意に自慢話をしないためには、過去の話を避けて現在の事を話題にするのが一番である。

特に、相手の近況について誠実な興味関心を向ければ話題に事欠く事はない。
これは、D・カーネギーの名著『人を動かす』の中で<人に好かれる6原則>の最初の項目としても記されている事柄だ。

相手に会話の主導権を渡す

相手に興味を向ける方法は、もし不幸にも自慢話に聞こえるような話題を選んでしまった場合にも使える。
その頃、あなたはどうでしたか?
そう話を向けるだけで、自分の経験談は相手への興味に対する前置きに成り下がり、相手に話しやすい話題を提供する事ができるのだ。

自慢話や経験談で奪われた会話のイニシアチブを渡されれば、今度は自分の番だとばかりに上機嫌に話し始めてくれるだろう。
この際、相手の自慢話に少し付き合うぐらいは許容する必要はあるだろうが。

相手が自慢話を始めた時は

どう頑張っても苦痛にしか感じない自慢話を長々とされる事ほどツライものはない。
そこで、もしも自慢話が始まった時の対処も考えていた方がいいだろう。

相手の思考を未来に向ける

自慢話は大抵が過去の経験に基づいた話題である。
従って、相手にイニシアチブを渡しっぱなしにしたくなければ、未来に目を向けさせればいい。

未来はまだ誰も経験したことが無く、どうなるか、どうすればいいのかは推測するしかない。
推測する未来は、本人しか知り得ない過去よりも他者が発言しやすいフィールドである。
そこでは対等に近い立場で言葉を交わすことができるだろう。

例えば、自分が大きなプロジェクトの責任者だった事を話題にする人に対しては、自分の関わっている案件に関する話題を振ってみるのがいいと思われる。
相手はここぞとばかりに、経験則からの方針を打ち出してくるだろうが、余程知識に差がない限り、実際に関わっている自分は対等に近いレベルで話せるはずだからである。

賞賛・同意を与えない

自慢話の目的は『賞賛を受ける』事である。
よって、目的を意図的に果たしてやらないことで、相手が無意識に話題の無意味性に気付き、話題を切り替えることを期待できる。

相手が壊滅的にコミュニケーション下手で相手の雰囲気が読めないならともかく、日本人は多少なりとも相手の顔色を伺う人種である。
明らかに不興を買っている話題を続ける事は相手にとっても苦痛となるので、これを利用するのだ。

具体的には、自慢話に対して『さしすせそ』を使わない事だ。
さ:流石ですね
し:知りませんでした
す:凄いですね
せ:センスありますね
そ:そうなんですか
これらは会話に対して肯定の意を表してしまう。
肯定を受けた相手は話題がウケていると思い込み、更に自慢話を続けてしまうだろう。

あからさまに生返事になると今度は反発を買うだろうが、上記のフレーズを1/3程度に減らすだけでも効果はある。
それでも自慢話が止まらない時は更に減らせばいい。

自慢話はするべきか

自慢話は相手に苦痛を与える行為である。
だが、本当にデメリットしか無いのだろうか。
自慢話を良くする人間の評価はどのようなものだろうか。

自慢話は短期間で信頼を生む

自慢話を聞くと、この人はこれについて相当な自信が有るんだろうなといった評価が聞き手に生まれる。
これが事実無根だったりすると、ただの見栄や大言壮語になってしまうが、知識や技能に裏打ちされたものであれば、転じて相手への信頼となる。

小規模なチームのリーダーなどは、指名されて早々に、部下の信頼を得てチーム一丸となって案件に当たる事を求められる場合もある。
そのような時は、自分の事を語らないリーダーよりも、自信満々で語るリーダーの方が信頼を生みやすいだろう。

自慢話は交流を活発にする

自慢話とは、極論すれば他者に対して有利に立とうとする攻撃である。
攻撃は相手にダメージを与えるが、同時に『ここまでは攻撃してもいいんだ』といった認識も与える。
こうなると、勢いのついたシーソーの様に、互いが互いに自慢話や経験談を語り始めて、良くも悪くも交流が活発化していくのだ。

たまに、会えばお互いに自慢話しかしない爺さんがいるが、あれはこういった理由からではないかと考える。
交流が無いよりはあった方がいい関係の場合は、自慢話から始めるのもいいだろう。

まとめ

総合して、自慢話はコミュニケーションの1つとしてコントロールすべきであると思われる。
これは自分もそうだが、コミュニケーションが不毛な物とならないために、相手に働きかける必要のある事でもある。
曖昧な肯定を与えて苦痛な時間を過ごすよりは、有意義な話題を選んだ方が、ずっとお互いのためになるだろう。

この記事を読まれた方は、自慢話をコントロール出来ているだろうか。

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